「神様」を捨てた日 前編 〜小さい頃は”神様”がいた〜

信仰のこと

ハレルヤ!

ビバ☆らんまるです。

タイトルを見てびっくりしてしまった方もいらっしゃったでしょうか。

タイトルの通り、今回は前編と後編の2回に分けて「神様」にまつわる思い出話をしてみようかなと思っています(⌒▽⌒)

プロフィールに簡単に書いているのですが、私は小さい頃他宗教の二世として育ちました。
そんな私が「神様」を信じなくなるまでを前編でお話しして、後編では「神様」を捨てた私が何に救いを求めたのかについてお話ししたいと思います。

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他宗教2世から見た摂理ー新興宗教と共に育った私 | キリスト教福音宣教会(摂理)RIOブログ CGMNAVI
筆者自己紹介2017年、10代後半で摂理の教会に通い始める。両親がそれぞれ別の宗教で信仰を持っているなかで産まれたいわゆる「宗教2世」。摂理の御言葉を学び始めて7年ほど。 趣味は漫画を読んだり描いたりすること、写真や動画の撮影・編集、史跡巡

ちょっと重めの話ではあるので、暗い話が苦手な人はブラウザバック推奨ですm(_ _)m

ちなみにサムネ画像は話の内容には関係ない数年前に撮影したひまわり畑です🌻(もうすぐ夏だなと思って…)


まずは簡単に当時の状況から…

私の父と母は私が産まれる前からそれぞれ別の宗教に所属していて、私は14歳くらいまでどちらの宗教の集まりにも参加していました。

父の宗教は仏教系の新興宗教で先祖供養がメインでしたが、母の宗教は神道仏教キリスト教でもなんでもござれの、謎の儀式をしばしば行う韓国系の新興宗教でした。

今回の話に出てくる「神様」は母の宗教の神様のことです。
(今信じている神様と別物ということを明確にするため、あえてカッコで囲んでいます)

母の宗教の神様…とはいっても、正直なところその存在についてよく分かってはいませんでした。

母の宗教ではあまり子どもは好かれていなかったので、宗教の集まりがある時は同年代の2世の子どもたちと一緒に過ごしたり託児所に預けられたり、1人の時は別室で勉強したりしており、ガッツリ教理を学んでいたわけではなかったからです。

母からは「『神様』は全知全能で宇宙万物を創造した方」とだけ聞いていたので、小さい頃の私は「とにかくすごい人なんだぁ!」くらいに思い、なんとなくのイメージで作り上げた「神様」によく話しかけていました。

そんな私に転機が訪れたのは小学校高学年のころ。

当時、学校ではいじめられ、家では母から暴言や軽い体罰を受けていた時期が重なっていた時があったのですが…
(どちらも特にトラウマにはなってないのでご心配なく👍)

殴られるとき、蹴られるとき、悪口をばらまかれ、周りに暴言を吐かれているとき…

何度も何度も神様を呼んだけれど、「神様」が答えてくれることはありませんでした。

そんなふうに何年も過ごすうち、「『神様』は全知全能ですごい方のはずなのに、なんで私ひとりすら助けてくれないんだろう」「助けられる能力を持っているなら助けてくれないのはなぜだろう」という思いが生まれました。

そして、そういう人がしばしばたどり着く「やっぱり『神様』なんていないんだ!」という思考になるかと思いきや…

私は次第に

「『神様』はこの状況を楽しんでいるんじゃないか?」と考えるようになりました。

ずっと長いこと生きている間に普通のことでは刺激を感じられなくなって、人間たちが愚かに争い憎み合う様を暇つぶしにして眺めているんじゃないのか?

地球を箱庭みたいにして、人間がどう生きるかをじっと見て暇つぶしの道具にするのが目的で人間を作って、最初から助ける気なんてなかったんじゃないか??

そんなふうに考えるようになったんです。

自分が好きで信じていたはずの「神様」が、フタを開けたら残酷冷徹サイコパス野郎だったのか?????と思うともう何も信じられなくなったし、そんな神様ならいないと思った方がマシだ!!!!!と思って、「神様」に解釈違いを起こした私は…

「神様」の存在を無かったことにしました。

「神様」を憎むようになるよりはいないと思った方がいい、助けてくれるか分からない「神様」に縋るよりは自分で頑張った方がいい。

そう思って、神様の存在はひそかに感じつつも、私は「神様」を呼び求めることをやめました。

そうしてしばらく経った時、ふと魔女宅の主題歌である松任谷由美さんの「やさしさに包まれたなら」の、「小さい頃は神様がいて」という歌詞の一節を聞いた時、自分の状況と重なって静かに泣きました。

「神様」がいなくなってしまった私は、もう子どもではいられないんだな、と。
(単純に大人になって身の回りの素敵な不思議がなくなっちゃったっていう歌詞だとは思うんですが、当時の私は「神様」と決別した自分と重ね合わせて&ちょうど中学生で精神的に大人になっていくタイミングだったこともあり、そう感じたのかなと思います)

今思うと神様はその状況の中でもできる限り助けてくださっていたし、御言葉を学んで神様がどのように働きかけてくださるのかを分かって、神様がどれほど愛に満ちた方なのかを知ってから呼び求めたら、これでもかというくらい助けてくださる方だということが実体験を通して分かりました。

概念的に神様を呼ぶのではなく、神様がどのような方なのか分かってから求めることが本当に大きいですね。

御言葉や自身の行いを通して神様について教えてくださった鄭明析(チョンミョンソク)牧師に心から感謝したいです。

過去に神様が助けてくださったことや、神様を信じるようになってから神様が助けてくださったことがたくさんあるので、そのあたりも少しずつ記事にしていきたいと思います(^^)


幼い頃信じていた「神様」を捨てた話はここまで!

さてさて…

「神様」を信じなくなった私がとった行動とは…?!

次回!!

「神様」を捨てた日 後編
〜イマジナリーお兄ちゃんとの別れ〜

お楽しみに!!

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